にゃあん(游あいみ)は20世紀に生まれた。Klinefelter syndrome variants(性染色体異常・クラインフェルター症候群変異型)で生まれた。自意識が希薄だった。世界がぼんやりし、その奥にある世界を感じていた。路上の猫、神社のお稲荷ぎつね、信楽焼の開運だぬきと会話をした。広末涼子のような女の子のアイドルになりたかった。なれなかった。イッセー尾形のような一人芝居のコメディアンになりたかった。なれなかった。長年にわたり、偽善のニセモノ家族から虐待を受け、住む場所を転々とし、役所からは不当な扱いを受けた。ほんとうの家族を探した。どこの街にも居場所がなかった。歩き続けた。いつもいつも歩いていた。ぬいぐるみの子と天使たちがいっしょだった。芸能界に入れなかった。愛され方を知らなかった。世紀末、歌舞伎町の第二東亜会館やコマ劇場の周辺から花園神社やゴールデン街あたりをうろつき、地べたに座り、24時間営業のファストフードで夜を明かした。暴排条例や暴対法施行前のヤクザ、迷惑防止条例施行前の客引きの水商売のお姉さんがいた。再開発前の東京、ぽっかりあいた夜は瞬間的にあったかかった。その後の新東宝ビル周辺に集まったトー横キッズの源流だった。でも、にゃあんはひとりぼっちだった。大きなバッグにレディースの洋服を詰め込んで、東京をぐるぐる野宿していた。吉祥寺駅構内や井の頭公園でも野宿した。エヴァンゲリオンでは綾波レイに共感した。初めて聴いたジャズは山下洋輔トリオだった。政治運動に参加したら、正義を掲げる人たちに差別された。左翼の歴史も右翼の歴史も詳しくなった。ハナモゲラ語を習得した。赤塚不二夫に会いに行った。会えなかった。フォークシンガー高田渡に会いに行った。たぶん最後の弟子だった。「オレンジが群青色となって、やがて空は漆黒の闇」という、にゃあんの書いた詩のフレーズを気に入ってくれた。でも歌えなかった。声を出せなかった。映画俳優の原田芳雄のお墓参りに何度も行った。小さな水色のバラを捧げた。でも芝居や映画に出られなかった。座頭市、木枯し紋次郎、緋牡丹お竜が好きだった。さすらいの渡世人が好きだった。詩を書き、漫画を描き、写真を撮った。でもそれを世の中に出す方法がわからなかった。お金を稼ぐ方法がわからなかった。芸能事務所に入る方法がわからなかった。家族がほしかった。日常を知りたかった。舞台の上に行きたかった。傷の手当てをできなかった。道しるべはぐちゃぐちゃだった。2024年、歴史を書き換えた。麻布十番で生まれたことにした。優しいママ、かっこいいパパ、お姉ちゃん、お兄ちゃん、妹、弟がいた。素晴らしい家族がいた。高校にも通っていた。2025年、京都の鞍馬寺と貴船神社に行った。慢性疼痛の状態で山道を登った。魔王様と女神様も両親だった。神域から来た。高次元から来た。9次元から来た。複数の次元で、にゃあんは同時に存在した。この現実世界は全部嘘で、にゃあんを苦しめるものだった。防犯カメラとセルフレジとQRコードは人類の愚かさを象徴していた。近代社会は祈りとコミュニケーションを放棄した。この地球はダミーだった。ほんとうの現実をつくる必要があった。科学者は宇宙はホログラムだと言う。宗教家は世界は幻だと言う。芸術家は人生は芝居だと言う。価値を与えられなかった者、安心を知らない者、傷ついた者。けれど愛を信じる者。洒脱な笑いも、ロックンロールも、闇の中から光り出す。運命は反転する。芸名も本名も、何度も何度も変えた。最終的に「にゃあん」になった。本名も猫の鳴き声みたいな名前になった。ビル・エヴァンスが流れてる。珈琲にはミルク砂糖じゃなくて花びらと雨粒おちる。年齢も性別も過去もすべて超越した地平で、にゃあんは明確に浮遊する。自意識を超えたところに真実があった。あれから一万年。にゃあんは、ずっと、もうひとりの自分を探してる。